今日の思想

日々の思想備忘録

2021年2月2日(火)の思想

目次

1日外出録ハンチョウ

2巻無料をにこにこ読んだ。
普通に全巻欲しいな、買うか(こういう所だと思う)。
comic-days.com

あと「中間管理録トネガワ」の裏垢の回(70話)が大好きで、これは課金しても読む価値がある回だと思ってるので、よかったらぜひ…。
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スピンオフばっか読んでるけどそもそも「カイジ」に明るくないので、まずカイジから読むべきだと思いました。

クッキングパパ

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ハンチョウの流れで飯テロ漫画読みて~~~と思ったら1000話無料(1000話?)だったので読み始めてしまい、風呂に入るのも放棄して20話までもくもく読んだ。
日記書くのも放棄しようとしたので、風呂に入って今日記を書いてる。

昭和の漫画は令和の今やったら怒られる表現がふんだんにあって面白い。
というかまずこの「クッキングパパ」という概念自体が令和では出来ないそのものなのでめちゃくちゃ面白いな~。
虹子がバリバリに新聞社で働いて、大酒のみで男勝りで、一味が料理が超得意で、というの、令和じゃ最早珍しくもなんともない。
逆にこれがほんの3~40年前だったら《珍しい》からとこうやって漫画になってる事を考えると、世の中の価値観の変化って目まぐるしいんだな~と感じる。

個人的には、一味(パパ)に好意を寄せる職場の後輩・木村夢子の言動があまりにも気持ち悪すぎるので早く方向転換して田中くんと結婚して欲しいと思いながら20話まで読んだ。
確かにほんの数十年前まではこういう表現余裕でアリだったんだろうけど、既婚者子持ちに対して《憧れだから》と言う謎の免罪符を使ってばちばちにアタックするの、普通にズルいので、だったら恋です!って言って全力投球して欲しい。

既婚者を好きになるなとは思わないが、「私は自分の立場わかってますんで」というていであわよくばを狙い人類が大変苦手なので(正面突破をしろ!!!!!!!!!!!!!)、田中くんには頑張ってもらいたいところです………。

同人誌を作りたい

つくりた~~~~~~~~~い!!!!と、なっている。
がしかし、わたしが何か特定のジャンルで本を出したい!というのではなく、同人誌(物理)を作りたい。

原稿を管理したり、誤字脱字をチェックしたり、装丁練ったり、入稿したりみたいな、そっちの編集作業がしたい。
内容にあった紙とかフォントを提案してコピー本を作りたい。
二次創作じゃなくても、一次創作とか評論とかなんでもいいので、《同人誌を作る》がしたい……………。

世の中がめんどくさいと思ってる部分を一手に全部引き受けるので誰か同人誌を作らないか…………。(そっちがやりたい顔)

正しい言葉と信じさせる言葉の違い

昼間ちょこちょこ言及してた奴。

このツイートからの派生か。
声がデカくて解りやすい言葉を使う人のいう事は信じやすいの理論。これはもうめちゃくちゃある。
だから勧めたいものがある場合はなるべく端的でキャッチーな言葉を使えるようにするのがダイマおたくが鍛錬するべき所だと思っているし、そこは努力をしたい。

ダイレクトマーケティングにおいては、入口がいくらキャッチーでもその門をくぐった先にあるものが煮凝っていないと、中々そのジャンルやコンテンツに人が長く住み着いてくれない。
故に、元ツイートにあるような《簡単に手に入るのものほど重要じゃない》の部分を、おたくという人種はきちんと理解して、スッと去っていくように感じる。

ただ、それが陰暴論とか詐欺とかインチキ宗教とかになってきてしまうと、《相手の弱みにつけこむ》というポイントが出てきてしまうので、どうしても信じ込みやすくなってしまう。
なので、深みが無いものでも圧倒的正義になってしまい、その魔法が中々解けてくれない。

人間にある《自分を救ってくれた》=《救ってくれたこの人はいい人だ》=《この人が言ってる事は正しいに違いない》という心理を使えば、カラスを白と言わせる事も、それなりに容易く出来てしまう。
誰か弱っている人間を見つけて、信じさせる前に救えばいい。
そして救った後に信じさせた事を伝えたら、大概の人は信じてしまう。
《自分を救ってくれたこの人が、間違ってる事を言うはずなんてない》と思うので。

世の中には、そうやって信じ込ませるために先に救済を差し出す人間がごまんといるので、気をつけないとならないな~~と思ったが、まあわたしはどちらかというと差し出す側の人間なので、そういう意味で気をつけようと思った。

あなたの光になれても、世界の太陽にはなれない

で、そこからの派生。

おたくによくある《作品は好きだけど本人の思想が得意じゃない》の時に必要以上に拒絶反応が出る問題。
これは、前述の心理が動いちゃってるからなのかな~と。
《自分が素敵だと思っている》=《この作品を作っている人とも感性が合うに違いない》という前提があるから、自分の思想と異なる言動があった際に、それらと作品を切り分けられず、《作品は素敵なはずなのに》みたいな感情が動いちゃって、余計に反発してしまうんだろうな。

そしてどうにか肯定しようとして深入りすればするほど、自分が理解出来ない・納得出来ない哲学が飛び出してきて、どんどん具合が悪くなり、《こんなに苦手な話をする人の作品がいいものな訳ない》という方に思考が歪んでしまって、元々好きだった作品さえも否定してしまいがち。
作品と思想は似て非なるものなので、そこはもう切り離して考えられるようになれたらいいなあと自分にもよく思う。

後は、例えば《自分を救ってくれた事実》《その人が作った作品》《その人の思想や哲学》はそれぞれ別のものだという意識も忘れないようにしたい。
《自分の人生を変える程のときめきを与えてくれた推しが炎上した》とかそういう時に過剰に世の中が「裏切られた!」となってしまうのも、ある程度こういう所から来ている気がする。

過去は過去だし、あった事はあった事だし、それは誰にも否定されるはずなんてないのにね。
わたしは、超極悪犯罪者だとしても、誰かの人生を救うキッカケを与えた人間になれると思っているので(そこは普通に成立するので)、そういう事の線引きをもう少し皆が出来るようになるといいのかな。

自分を救った人やものの事を全肯定で信じ切ってしまうのは普通に危ない。
そうだとしても《己の意志や思考》というものは捨ててはいけないし、全部が全部染まってしまうと自我が無くなってしまう。
そして、自分を救った人やものが誰かにとっては悪だとしても、それが自分にとって正義なら信じる事に何の問題もない。
自分を救った何かが世界の倫理に背く日が来ても、自分の正義と噛み合わなくなっても、自分を救ってくれた事実や時間は決してなくなりはしないので、胸を張って語れる世の中になるといいのかなあ。

みたいな、この辺りもうちょっと言及したいのだけど、今日は上手く言葉が出てこないので一旦保留。
でも、物凄く大切な事だと思う。
世の中は善か悪かの白黒はっきりしたものではないし、時間が経てば変わるものもあるし、誰かにとっては悪でも自分にとっては善なんて、物凄く容易にある。


とりあえず今日はクッキングパパを読む。



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