今日の思想

日々の思想備忘録

2021年2月10日(水)の思想

目次

ブログをアップした

ピューロランドについてのアツい想いを語ったはいいけど、そもそもHNWのダイマ記事書いて無くない!?!?という重篤な事実に気が付いてしまったので書き上げた。
なんと本編ではなく本編前に上映されるプレショーのダイマである。
ka-ri-ng.hateblo.jp

尚、このエントリは2本立てでプレショーに登場する「いちご博士」という人物についての考察エントリも書いた。
ka-ri-ng.hateblo.jp
こっちは大分煮凝っている。ショートショートもついていてやりたい放題だ。

先日まで言葉を発する事さえも億劫で、キーボードをタイピングするのが辛くて仕方なかった人間がこの2本のエントリを数時間で書き上げた辺り、人生の気分のムラが凄い。
そして2本のエントリの温度差が中々にエグい。
片やアッパーゴリ押しダイマ、片やほぼほぼ陰暴論に近くもある煮凝り考察。
この対比を見せるのも面白いかな~と思ったので同時にアップした。

言葉の力は物凄いもので、そして大変に怖い。
この2本のエントリはどちらも《個人の思想に基づいた価値観を信じこませ》《その価値観に基づいた行動を起こす》ように誘因している。
つまり、世の中のダイレクトマーケティング陰謀論というものの根底はほぼ近いのである。
どれだけ他者に信じてもらうか?そしてその後行動してもらうのか?そういった事の楽しさと可能性が文章にはある。

誰かが綴った言葉には、必ずその人間の思想が滲みこんでいる。
そして、ジャンルに合わせて温度感を変える事によりメインターゲット層により響くようにコントロールがされている。
それをいかに疑われないように、さも《皆がそう思っていて、自分もそう考えた方がよいと思わせる》かのテクニックが駆使されて書かれていたりもする。
わたしのダイレクトマーケティング記事は、大体そういう事を意識して書いている。

なので、本来は(主に)インターネットの文章を読む時はそういう箇所に気が付いて、自分の中で疑問を持つ作業が必要になるのだが、最近は目に入った情報を頭からすべて信じ込んでしまう人が多い。
自分でそれらしい文章を書いておいて難だか、なので解りやすい陰暴論に陥ってしまう人が多いんだろうな。
何かの文章を読んだら疑う事を忘れてはいけない。
その為にも自分の価値観を日々チューニングをするのを怠ってはいけないし、《自分に合わない価値観も接種する》ことや、《その価値観に対する違和感を言語化してアウトプットする》ことが必要になってくる。
そういう基本的な事を、忘れないように過ごしていたいと改めて感じた。

そんな事も頭に入れた上で、読み物コンテンツとして温度差を感じながら読んでもらえたら幸いです。
騙されないように疑う心を持ちながら読んでもらいつつ、解った上で騙されてみるのも、また一興である。

想像は想像でしかない

上記エントリ内の記述で線が引かれている箇所に関しては、自分の中の感覚として「2000%そうだろ」とは思っているが、あくまでも完全に想像の域を出ておらず断言する事は避けたかった(しかし考察のひとつとして主張もしたかった)のであの表現になっている。
と、いう事から派生して。

世の中は《正解》を求めすぎていないだろうか?

読んだ小説の自分なりの仮定
作り手の意図を感じる演出への考察
自分が感じた違和感
未解禁情報への期待と想像

これらに対して、こちらはあくまでも《自分の願望に乗っ取った予想》をするのが楽しく、かつそれが合ってたらとっても嬉しい!くらいの感情でやっている。
なのでべらべらと好き勝手色々SNSに発信していたりする。

自分の経験則や感覚値から想定する《ただの想像》であり、逆張りをして当てにいっている訳でもなければ、正解を知っていて匂わせている訳ではない。
そんなおたくの想像に、どんなに「想像だ」と前置きをしたところで、一部の正解だと思いこんだ人間により拡散されて、情報がどんどん一人歩きしていくので本当に困る。
たとえば、化石の発掘をしているとしよう。
わたしはあくまでも《トリケラトプスの化石が発掘出来るかもしれない場所》を掘っている。
自分の経験則と感覚値で、確かにそこからトリケラトプスの化石が発掘される可能性は高いのだが、わたしは化石が埋まっているかいないかについては把握をしていない。

この《発掘出来るかもしれない場所》を予測するのがまず楽しい。
そして、その自分の予測に乗っ取って採掘作業をするのがまた楽しい。
そこから化石が発掘出来たらとても嬉しいが、発掘出来なければ出来ないで《ここからは発掘出来なかった》という情報が手に入る。
その新たな情報を元に再度予想を立てて次の場所へと採掘へ向かう。
化石が発掘されるまで続けるか、別の化石を採掘しに行くかはその時の気分次第だ。

こういう事が楽しいのではないだろうか?
ところが最近のおたくやインターネットは違う。

わたしが化石を採掘してくる所に現れた人々は「ここからトリケラトプスの化石が発掘されるんだって!」と"結果"にばかり執着して過程に興味を持とうともしない。
現に、そこから化石が発掘されなかった時は「こいつは嘘つきだ!」「発掘されるって聞いたから見てたのに損した!」と罵詈雑言を浴びせてくる。

逆に、そこからわたしの予想通りに化石が発掘されると「この人は凄い!」と神格化してこちらの予想を神の言葉か何かと勘違いしてすべてを盲信してしまう人間や、「本当はここに埋まっているのを知っていたのでは?」と疑いの目を向けてくる人間さえいる。

そうではない。
そうではないのだ。

色々なものにまつわる予想や想像・考察は、わたしだって答え合わせをしたい内の1人でしかない。
特にわたしは自分が見ている世界の解像度が高いと感じているからこそ、「きっとこうなのでは」を当てる打率は確かに高い方ではある。
それでもやはり願望を含めた想像は想像でしかなくて、仮に事実と相違無い発言をしていたとしても《知らないで話している》以上は絶対に想像なのだ。
そして必ずしも答え合わせをしたい訳でもなく、また自論が正解である必要もない。

《もしかしたらこうかもしれない》を考えるのが楽しくて、自分の中の想像を話すあのワクワク感が楽しいのに、とても勿体無い。
正解を提示されない方が、楽しめる事も沢山あるのにな。
それに《自分は正解を当てられた》という事が嬉しいのではなく、《自分がこうだったら素敵だと思って予測した事が正解に近かった》という事実が嬉しいのだ。

まずは自分の思想や価値観を持つ
そしてそれを元に思考を巡らせる
その先で導き出した答えを煮詰める

そういう事をするには、やはり自分の価値観の中で生きるだけでなく、他人の書いた文章を読んだり、他人の思想に触れる必要がある。
そして《自分とは違う》と感じたり、《そこはおかしいのでは?》という疑問を持ち、自分の気持ちを自分の言葉でアウトプットする必要がある。
そんな事をしながら培われた己の感性で様々な事を想像するのは本当に楽しい。
だからわたしは今日も想像をし続け、こうして正解かどうかもわからない文章を書き続ける。

想像は想像でしかない。
が、しかし。
想像だと割り切った上でする想像の話も、またとても胸が躍るのだ。



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