今日の思想

日々の思想備忘録

2021年2月18日(木)の思想

目次

客観と主観のふたつの目を持とう

昨日に引き続いてツイキャスでした話をパラパラと。
前半はこちら。
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「最近推しに注意や指摘出来ずに全肯定するおたくが増えた」という話をしたのだが、その理由の補足。
何も別に推しの言動をいちいち気にして、度々注意や指摘をしろ!という事でもなければ、注意や指摘が出来ないのであればおたくではない!という事でもない。

ただ、推しが何か良くない事をしてしまった時や、自分と合わないな~という何かが起きてしまった時に、主観と客観を混同して言葉をかけるおたくが増えた気がする。
明らかに良くない事をしてしまっているのに「大丈夫ですよ!」と言って罪自体をなかった事にしてしまうパターンや、逆に明らかによくない事をしているからと言って「社会的に死ね!」などと言葉が大きくなってしまうパターン。

・客観的に見たらアウトだけど、自分的にはセーフだよ
・客観的に見たらセーフだろうけど、自分的にはアウトだよ

みたいな物言いが出来るようになると、その言葉や評価の層がもっとぐっと深まるのになと感じている。
自分の主観を客観的だと思い込んで強い言葉を使うと《クソデカ主語》と揶揄される訳だが、自分が今抱いている感情が肯定的なものにしろ、否定的なものにしろ、あくまでも主観である事を忘れてはいけない。

そして、客観的な意見が肯定的なものにしろ、否定的なものにしろ、別に自分の主観は揺らがずに持っていていいのだ。
そこを混同せずに「皆は素敵って言ってるけど、私はちょっと苦手だな」とか「社会的にアウトだと思うので反省は必要だけど、私は頑張って欲しいから応援してる」みたいな声かけの仕方が出来るようになると、もっと豊かになるのにな~~~という事を考えたりした。

これはまずそもそもとして右に倣えではなく《思想の多様性》を前提に置かないと出来ない考え方だと思うので、そういう事も含めてこのふたつの目を持てる人が増えたらよいのにな。
自分自身も余裕がないと視野狭窄に陥りがちなので、自戒も込めて。

推しは自販機ではない

これは《推しからの対応は人間関係があってこそのもの》という話。
例えば好待遇にしろ、何気ないいつものやり取りにしろ、接触での無茶ぶりにしろ、推しとおたく1対1のこれまで培って来た人間関係という過程があるからこそ、その先の結果としてそういった対応がある。

これもSNSの弊害で、最近はすっかり《結果》ばかりが目につくようになった。
現場でこんなレスを貰った、接触でこんな面白い事をしてもらった、そういうのは全て、そのやってもらったおたくと推しの関係性があるからこそ出来たものであり、一見さんが誰しもやってもらえるという訳でない。

仮にわたしにAという推しがいたとする。
わたしはAが好きで、Aとの人間関係を構築してきたからこその《Aに壁ドンをしてもらった》という事実が嬉しいのであり、そこにAの人気レベルや、自分への注目度などは本来関係してこない。
けれど最近は《有名人のAにこんな神対応してもらった》という、してもらった自分が主語で語られる事が多く、それを望んでいる人が多い。
だからこそ余計に《ネットで見たアレをやってもらおう!》と、相手を人間扱いせずに映えエピソードのためのフォトプロップスにしてしまう。

推しというものは、存在してパフォーマンスや演技をしている時点でそれがサービスであり、その時点で価値がある。
客をちやほやする事がサービスではない。そこを間違えてはいけない。
お金を入れてボタンを押したらピースをしてくれたり、投げチューをしてくれたり、壁ドンをしてくれる自動販売機ではないのだ。
何か特別な事をしてもらいたいのであれば、特別な事をしたくなるおたくになるしかない。

その努力を、自分は果たしてしているか???
他人を妬む暇があったら、自分の努力を振り返った方が道は開けやすい。

レポをする”自分”にならぬよう

増えたよね~~~~~レポ厨~~~~~~~~!!!
というこれは「レポートを書く人を否定する」という文脈ではなく、主語が《自分》に来てしまい、レポを落とす事でRTやいいねがくるのが快感になってしまい、レポをするために現場に入っている人や、レポをするために接触で推しにぶっこんでしまう人の話である。
極論楽しみ方は自由なので、そういう楽しみ方をする人間が存在していても各々の自由だ。ただ《わたしは好かねーな!》という話。
理由としては、誰かが頑張って作り上げたものの評価は制作者が受けるべきであり、そレを使って自分が注目を浴びようとする行為がわたしとしては受け入れがたいので。

・物凄く素敵な作品に出会ったから残しておきたい
・とても有益な情報だと感じたからレポートして世界に発信したい
・この作品と全人類は出会うべきなのでマーケティングをしたい
・推しの接触であまりにも愉快な事が起きたから皆知ってくれ

こういった感情は本来すべて《作り手・元の作品・推し本人》へのリスペクトから生まれる衝動であり、自分の利益は《その作品・人間・情報に出会う事》が全てだ。
別にこれらの巨大感情をまき散らしているおたく達は、自分が評価されたくてそういう情報を発信している訳ではない。

昨今はこういった有益な情報がありがたくもガンガン拡散されて、一躍バズの人になれてしまったりもする。
そして「こんな素敵な情報を発してくれてありがとうございます!」という素敵な言葉までいただけるような世界になった。
いえいえこれはただのクソデカ感情ですからね……でも感謝し合う文化、素敵ですよね……。
なーーーーーんて言ってる暇もなく、うっかりすっかり目的と手段が逆転した人間の格好の餌食になってしまった。

クソデカ感情のレポや感想、マーケティングはあくまでも《手段》でしかなく、”感謝される”というのはその不随で起きる現象だ。
しかし、自分が感謝をされたい・注目をされたいからと、レポや感想、マーケティングをする層が大変残念な事に出てきてしまった。

・レポートを書くために舞台やイベントに入る
・人気作品のマーケティングをしている自分がしたくてダイマ記事を書く
・レポ目的で接触でオモロな行動をぶっこみに行く

こういう人間が、インターネットに散見されるようになった。
大事なのは対象への愛情であり、そして自分がその時に感じた感情である。
イベントや舞台に参加して一字一句覚える事が大切なのではなく、自分の感情が手前にあって、その溢れる思いを文字にしたり、たまたま起きたオモロな事象があって、それを伝えたいから文字にするのであり、《文字にして届けたいから》それらを摂取したり、起こそうとしていては本末転倒である。

人間というのは、緊張状態にあると記憶力が高まるように出来ているらしい。
つまり記憶しよう!と意識的になってしまうと、自ずと緊張状態になり、興奮を抑えてしまう事になる。
そんな事をしてしまっては、折角のライブパフォーマンスを生で体感する意味がないのではなかろうか?

《推しは自販機じゃない》の話にも通ずるが、接触で《こんな事をしてもらった”私”のレポ》を書きたいがために無茶ぶりをする人間が増えたように思う。
推しは映えのためのプロップスじゃないって言ってるだろ!!!!!!!!!
他のおたくに注目されたいから推しにぶっこむおたく、コンビニのアイスケースに入って炎上するあれと大差がないのだけど、気が付いてないんだろうな。

そうやってぶっこまれた結果、鬼の首を取ったかのような自慢話をする人間が増えたから、接触での自由度が広まり、挙句の果てにはレポ緘口令が敷かれてしまったりする。
培って来た人間関係の上で《美味しい思いをしている》層からしたらとんだ迷惑でしかないし、自分にいつもよくしてくれるおたくをちょっと特別扱いしたい推しからしても大迷惑だ。
そして、SNSを流し見している大多数からはその区別がつかないが、わかる人間には《愛情の矛先が対象なのか自分なのか》がハッキリとわかるので、バシバシと心に傷を付けてしまう。

繰り返すようだが「そういう楽しみ方をするな」という訳ではない。
ただ、自覚を持ってやった方がいい、人の作ったものなのだからという話である。

制作者の意図と異なった楽しみ方をして、”自分”への評価を求める事が完全なる悪だとは思わないが、自分がアウトローで相手の気持ちを踏みにじっているという自覚を持って行わないとならない。
こういう事に無自覚であるというのが、今のインターネット社会の一番の弊害だろうな。
少なくとも一昔前は《自分は悪い事してるんで!》と開き直って悪い事をしてるおたくが多く、それは別に個々の自由なので。

皆自分大好きなのは構わないんだけど、だとしたらもっと正々堂々「自分大好き!!!!!」って言ったらいいのにね。なんか歪んでるよね。

過去を調べない自称”おたく”多すぎ問題

それって”ファン”では??????
おたく………もとい”オタク”って病気の一種だと思っている。

こだわりや探求心が強くて、ひとつのものに執着したら気になって気になって仕方がない。
一般社会で生きていたらその内軽犯罪を起こしかねないから、”趣味”として”なんらかの研究対象を見つけてそれをどんどんどんどん根掘り葉掘り調べて解りたい生き物、それがオタクだ。
これは生まれながらにして持ち合わせている脳の構造であり、極論を言えばやはり病気だ。

病気だからと言って悪い訳ではなく、結局はただの個人の特性でしかない。
その特性を如何に犯罪ではなく有益な方向に持って行くか?という結果、オタクという概念が生まれた気がする。
そしてオタク向けのビジネスがばんばんと増えていくことで、オタクは消費者となり知識人となる事が出来た。
これは《大多数と違う属性を持った人間が社会にコミットする》ためのとても優れた共存方法だと思う。2021年現在となっては、おたくを馬鹿にする人の方が少ないし。

ただここでやはり問題が起きる。
言葉や概念が大衆的になればなるほど、「よくわからんけど自分もそれになりたい」と憧れる人間が出てきてしまう事だ。
そして増える自称”オタク”。しかし、中身はnotオタク。

わたしは自分が興味を持った対象の事は1から100まで全部全部全部知りたいので、例えば出生時のグラム数から、息を引き取るその場所まで全て知りたい。知れる事は知りたい。
けれど別にそれを無理に調べ上げる事はしない。下手すると犯罪者なので。

物凄い極論を言うと「全部知りたい」から殺したくなっちゃう人もいると思う。
突き詰めていってしまうと「怖がっている時にどういうリアクションをするのか」とか「最期はどういう顔で死ぬのか」という話になっていってしまうので。

わたしは一応人間社会に暮らす上で最低限の倫理観や理性があるのと、生きてる時の情報量がまだまだ足りないから死なれてしまっては困るな~という気持ちもあるのでお縄にかからず生きているが、少なからず《それ位の探求心》はある。
どちらかというと思想や哲学的な事を全部知りたい派だからというのもあるが、理屈としては「あるよなあ」と思っているし、「推しに流れてる血の色はどんな赤をしているんだろう」というのが純粋に知りたくて仕方ない人もいるだろう。

今、「ウワッ」て思ったでしょ。
だから病気なんだって。
こちとら知りたくて仕方がないんですよ。

けれど、昨今の《おたく》を名乗る若者たち、エアプが多いし自称が多いし、自分がハマった時よりも前の情報を調べなさすぎている。
だからさあ!!!!!!それはおたくじゃないんだって!!!!!!!!!!!!!!!!!
別におたくという物は《ファン》よりも上にいる高尚な存在ではない。それをまず理解しろ。理解して名乗れ。
というか半年ROMれ。過去ログ全部漁ってこい。

自分がハマった時よりも前の情報を調べない人たちは、多分今自分が出会って見ているそれが世界のすべてで一番なので、それに対して異なる価値観や情報が出てきてしまうと”自分”が傷付くので嫌なのだろうなと思う。
出た、”自分”!!!!!!!!!
いや、いいんですよ、別にそれで構わないんですよ、だけどそれは決して《おたく》じゃないんですよ、という事を理解すべきだし、おたくというのはなりたくてなるものではなく、この世に生を受けた時点で背負わされている業なので、推しというのはそれを救ってくれるメシアなんですよ。
だから推しに執着するし、推しのために生きてしまうし、推しが過ごしやすい環境を整えてしまうし、自分よりも推しが優先されるんですよ。
だって、それが自分の為になるんだもん。

それをね、”自分”が主語の人と同一でくくられると、辛いんだよね。
という辛さを抱えている人間がいるという事の理解さえも深まらず、「なんかキモい」で片づける自称おたくの皆さんは、まずおたくになりたがらないよう気をつけてください。
おたくはキモくてナンボなので……。

半年ROMれ

っていい文化だったよね。

Read Only Member、略してROM。

興味があって参加したい場所があったらまず過去ログを読む。そして半年ROMる。
そこまでの根性があった上で、まだ参加したかったら参加する。
それでも探求心があるものは残るのでそれで構わないだろうし、そういう人を”仲間”と呼ぶのだろう。
大事なビオトープの生態系を崩されないためにあった大切な文化が、今やすっかり無くなってしまった。

勝手に大乱闘スマッシュブラザーズに参戦してきて、フォロー外からクソリプを失礼してしまい、現場の空気を読まずに推しの機嫌を損ね、製作者や発信者を深く傷つける。
それは消費者でも参加者でも何でもなく、ただのゴジラである。
いや、ゴジラにだってゴジラの正義があって東京を踏みつぶしているので、ゴジラに失礼かもしれない。

まずは配信を半年ROMらないと現場に行けないシステムを導入したらいいのでは……(そしたら儲からないのよ)。

そもそも愛されたいと大声で言え

好きなものや人が出来たら、まずはその対象を壊さないようにそっと愛でて欲しいのに、「私を愛してください!!!」と金槌で殴りかかる人間が増えたように思う。
綺麗な花を見つけたら遠くから静かに愛でたらいいのに「やった!!!!」とその場でむしり取る人間が増えたように思う。

これはおたくだどうだとかじゃなくて、社会全体的に。
皆心が満たされてなくて、寂しくて、不安で、愛されたくてたまらないのだろうなあ。
だからこそ文化やエンターテイメントがあるのに、その文化やエンターテイメントさえも、こだわりを見抜かれずにパパパとTLを流し見する様にあっという間に消費されて行ってしまう。

自分が愛されたいのであれば、まずは誰かを愛そうとするべきだ。
自分をわかってもらいのであれば、まずは誰かをわかろうとするべきだ。
自分を受け入れてもらいたいのであれば、まずは誰かを受け入れるべきだ。
そういう相互の関係があるから世の中は豊かになる。
与えられる事だけを望まず、求めず、まずは自分が与える側になると、世界は少しだけ変わってくるかもしれない。

このスピードじゃあ、最早人として感受性を持ち合わせている方が罪を背負わされているのに近いし、そういう感情を持っている人間がどんどんと諦めて脱落していってしまうのもわかる。
だって、諦めた方が楽だし傷つかないんだもん。そりゃそうよ。
それでもわたしは自分の感情と感受性を豊かを持ち合わせた人間に生まれた事を誇りに思っているので、今日も自分の考えや価値観を捨てずに、こうして思想を垂れ流して生きていくのだ。

そしていつか、わたしの体に流れる血の赤色の詳細を知りたいと思ってくれるような人と出会えたら、素敵な事ね。
そう思ってもらえる教祖になれるように、精進します。



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