今日の思想

日々の思想備忘録

2021年3月25日(木)の思想

目次


去年の今頃

2020年3月23日に偽義経のチケットを取り直して観て、3月25日にリトショを観た。
リトショが、わたしを精神不安に追い込む最後の観劇だった。
ちょうど、ちょうど1年前だ。
あの日から見ていた悪い夢から、やっと醒めた感覚にある。
今、演劇と生きてる。体に血が巡っている。
わたしって、生きてたんだ。そうなんだ。

月影花之丞大逆転

を、観て来たんですよ。

先行だなんだをすっかり忘れていて、これ観れないんじゃね???と思ってたけど、色々ご縁があってチケットを譲っていただいて無事に観る事が出来た。
すごかった。めちゃくちゃ面白かったし、死ぬほど下らなかったし、各所から怒られそうな事しかしてないのに絶対怒られないのが新感線だよな~~~と感動した。
開演30分前くらいに劇場について、パンフとペンラを買って、パンフ読みながら開演までまと~~~と思っていたら「ネタバレです」と書かれていて、そりゃそうだよなあ!!!となりながら、場内BGMを聞いて過ごした。

開演して5分でもう全員がバカでどうしようもなくてくだらなくて、OPでしこたま笑って、突然出てきたアンドリュー宝田の存在に「はっ!?!?」となって、途中はもう本当に心の底から「演劇ってマジで生活必需品じゃねえなあ!!!でもだから必要だよなあ!!!」みたいな事を考えながら観ていた。
お芝居として、コンテンツとして、”楽しませる”に特化したバカバカしいネタもの舞台をこのタイミングにぶつけてくる新感線は、本当に演劇が大好きな劇団だよな~~~なんて思いながら、最後の30分で突然涙腺が決壊しておかしくなってどうしようもなくなってしまった。

そもそも古田先輩とサダヲの殺陣だのなんだのがそれだけで胸が苦しくなるほどなのに、W捨之介で見得を切られたら、こちらはその場で吐くしかない。
さんざっぱら鳥髑髏を推奨してる身だけれど、いうてわたしはゲキシネ出の新規なので(?)今日初めて、生でサダ捨を観た。そんな事あるんだ。あるんだな人生………。
いや、まあ恰好はハイジでしたけども………。

人生って、生きてたらいい事あるし、幸せな事もあるし、それに気付かせてくれるのが演劇だったかも。という事を、やっと思い出せた気がする。
なんか、そういう事も忘れちゃってた。
全部ぜんぶ忘れてた。
演劇が大事です!!って主張する事に溺れすぎてて、演劇をやる事に固執しすぎてて、心の底から楽しんでたかどうか、よくわかんなくなっちゃってた。
そして、そんな自分が嫌だったし、演劇と一緒に死ねない自分の事も、許せなかった。
その、自分にかけてた呪いが、やっと解けた気がする。

”呪い”から”祈り”へ

それこそ、去年の今からもうちょっとだけ先の事。
3月後半以降の、劇場に足を踏み入れられなくなってしまった時期。

劇場に行って座席を1席埋める事。
たったそれだけ。それだけの事が出来やしない。
こんなに大好きなのに、救われてるのに、生かされてるのに。
けれど”不要”と呼ばれる演劇の事、わたしは助けてあげられない、救ってあげられない、守ってあげられない。
自分はなんて無力なんだろう。生きてる意味が感じられない。
生きる気力もわかない。生きがいもない。
自分の生きてる意味を、生かしてくれている存在を社会全体に真っ向から否定される。
そりゃ、人だって何人も死んで当然でしょ、と正直思ってた。
だって、死にたくもなるでしょそんなもの。
なのに、世間はそれを追い込むように「なんで?」と口にする。
その疑問が、次の人間の命を奪うひとつのキッカケになるとも知らないで。

自分の生きてる意味を世の中全体から否定されて、あまつさえそれを”そんな事”と形容されたら、生きてる方が地獄だ。
未来に希望なんて持てないし、そんな社会にコミットしている事を容認してしまっては、自分が演劇を殺しているんじゃないか、そういう気持ちさえ生まれてしまう。
生きてる事が罪で、守れないくせに大口をたたいているのが辛くて、もう、何もかも全部投げ出したくて仕方がなかった。

6月7月位から少しずつ劇場で演劇に触れる事をしてきたけれど、やっぱりどこか世間に対する怒りとか、「ちゃんとやってますよ!」感とか、「演劇って必要でしょ!!」みたいな、圧倒的な”解ってもらえなさ”への反発がメインになってしまってるというか、「わたし達こんなに頑張ってるのに!!」みたいな、間違ってないんだけど、なんとも言えないちょっとズレた感になってしまっていて、でもそうする事でしか自分達を励ましていけない気がして、とにかくその時はそうする事しか出来なかった。

そこからクラスター発生だなんだかんだからの一連の流れで、演劇界の中でもあいつは仲間じゃないとか、こいつはどうだとか、本当は皆でひとつの大きな輪なはずなのに、足並みも揃わないし、価値観も違うし、あれ?わたし達ってもっとなんか、なんか大切なものを共有してたんじゃなかったんだっけ???みたいな、そういう事の嬉しさとか、楽しさとか、全部がわからなくなってしまっていた。

もう、演劇に触れる事の方が億劫で、劇場に行っても辛いだけで、これ以上誰かが誰かを呪うところに関わらないとならないのであれば、わたしは演劇から離れないと、きっと自分の心をつぶしてしまう。そう思って、多分少しだけ距離を取っていた。
実際に、今、シリアスを観るのが結構キツい。
へらへら毎日を過ごしているけれど、やはり心は去年から疲れて切ったままで、誰かの強い感情を浴びて、それが少しでも自分とズレてると、あっという間に壊れてしまう。

なんで演劇が好きなんだっけ。
なんでこんなに必死になってるんだっけ。
わたしは、世間と戦うために演劇を好きなんじゃなくて、演劇を好きな人たちと分かち合うあの場所が、時間が、空間が尊いと思うから大切にしていたかったはずなのに、見えない敵に向かって刃を振り回してばっかりで、気が付いたらその刃が味方の頬をかすめてる。
そんな風な印象さえ覚えていた。
もう、全部が怖くてたまらなかった。

けれど、今日観たそれはまさに、わたしが求めている演劇そのもので、外野の事なんてどうでもいい、世間になんて好きに言わせとけ、俺たちは俺たちでやってるから、観たい奴だけ観に来いや!!!!の、あの姿勢だった。
演じる場がないなら劇団と演出家と脚本家が場所を作る、だから演じろ、だから観ろ。ついてこれねー奴らの事なんて知ったこっちゃねえ!!!!!そういう雄たけび。
そう、そうなんだよ、わたしはこれが欲しいんだ。

わかり合えない相手に対しての反発ではなくて、わかり合える相手に対する抱擁を、ただただ待っていただけだ。
わたしが包まれたい”演劇”はこれだ。
ちゃんと思い出せた。大丈夫だ。
わたし、演劇と一緒に死ぬ事は出来ないかもしれない。
でも、一緒に生きたいや。これからもそばにいさせてよ。
そう心の底から思えたら、涙が溢れて止まらなくなった。

センターで見得を切る古田新太阿部サダヲがヒーローにしか見えなかった。
でも、彼らは別に世界のためになる事をしてる訳じゃなくて、自分のために生きてるだけ。
ただそれが、わたしの求めてるものと合致しているだけ。
世界を救うなんて、”柄じゃねえ”んだよなあ。
世の中の、世界の、皆の正解なんて決めなくていいけど、わたしの正解はここにある。
なら、劇場に行って、座席に座って、目の前で繰り広げられる物語を観て、感情を浴びて、自分の中に生まれた気持ちを言葉にしてつづる。

ああ、わたし、演劇の事、少しは救えてるのかな。
と、やっと思えるようになった。

たった1年が、何十年もの間呪いにかけられていたくらい長くて、辛くて、苦しかった。
でも、世間からの言葉よりも、やっぱり内輪(演劇界という大きいくくりのそれ)の噛み合わなさの方が、わたしはとっても辛かったんだと思う。
辛かった、というか、現時点でも尚辛い。
でも辛い辛いって言ってたってどうにもならなくて、皆がみんなそれぞれの正義を抱いて進んでるなら、またどっかのタイミングで一緒に騒げるよ!という希望を、やっと見る事が出来た。

演劇人の足並みを揃えるなんて出来なくて、足並みが揃わないからこそ皆それぞれの芝居を作る訳で。
”それがいい、それでいい”と思えるようになるまで、随分と時間がかかってしまった。
本来ならば演劇に関わるすべての人間の事、誰一人として否定したくない。
「あなたが正解だと思うなら、それが正解だよ」と言っていたい。
だって、自分はそうやって許されてきたから。

誰の事も咎めたくないし、罰したくないし、捌きたくもない。
でも、それをやらないと生きていけなくて、でも、それをやったら精神的にキツくなる一方で。
そういう事を繰り返してがんじがらめになっていた日々を、超スピードで走る黄色い車両がブーーーーーーーン!!!と横切って、全部どうでもよくしてしまった。
凄かった。「正気になれよ!!!」って、ビンタされた気持ちだった。

わたし、たぶん、どうかしてたんだと思います。
もうなるべく、世間も他者も呪わないで生きていきたい。
大事な仲間を守るために祈って生きていきたい。
今日からはそれが出来るだろうか???
出来るかどうかじゃなくて、”やる”んだよな。わたしの人生だし、わたしが決めたらいい。
わたしが誰の事も咎めない様に、わたしの事も誰にも咎められないのだから。

この世は舞台、人はみな役者だ

すべての人間は役者でしかなくて、めいめい出があり引っ込みがあるんですよ。
結局、演劇における要点ってシェイクスピアがほぼほぼ全部やってる気がする。なんなんだろうあの人。すごいよな。
このセリフだってシェイクスピアがジェイクイーズに言わせて、いわゆる”メタ”となる事をやっている訳だし。

何が言いたいかというと。
作中で月影先生が「役者だったらどんな事でも出来る」と言うのだが、その”役者”というのは、一般人とか芸能人とかの線引きじゃなくて、わたし達も含めた全員。
すべての人間が役者であって、世界っていう舞台の中で、どんな事だってやれるんだよな、と、思った。

舞台の上に過去はない。あるのは次のセリフだけ。

それは、結局人生だって一緒だ。
起きてしまった事は起きてしまった事。
時間は不可逆なので、そこに捕らわれてしまっても結局どうする事も出来ない。
そうではなくて、今どうするか。次どう動いて、どういうセリフを発するか。
そして、自分の人生の脚本も、演出も、自分がつけている。
だから、次のセリフをどう言って、どんな風に生きていくかは、自分で決めたらいいんだし、そうする力がわたし達にはあるんだよなあと。

知らない間に色んなものに縛られて、苦しくなって、過去を思い返してあーだこーだ言ったりしてるけれど、今は今でしかない。
元通りになるなんて事はどんな時でもあり得ないけれど、元みたいな幸せをつかみ取る事は出来る。
でも、過去に縛られてたら一生叶う事はない。
前を見て、これからどうするのかを考える。そして自分の足で歩いて、自分の口で次のセリフを言う。

その次のセリフが、やっぱりわたしは呪いじゃなくて祈りでありたい。
ここにいられてよかったなあと最大級の感謝を込めて祈りたい。
そして、どうか演劇が好きな人皆が、幸せであったらいいと思う。

心の底から、演劇が好きだ。


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