今日の思想

日々の思想備忘録

2021年6月8日(火)の思想

目次


「嫌われるわたし」はじめました

生きている中で、自分と相対してる人間が自分をどう思っているかとか、今どういう機嫌なのかというのが手に取るように解るので、集団の中で、1対1の対話の中で「わたしがこう言っておくと都合がよいんだろうな」というのを考えて、そうやって動いてしまう事が多い。
でもそれは決して相手をなめ腐っている訳ではなく、相手の事を思っての事がほぼだし、別にそれを苦だとは思っていなかった。最初は。

年を重ねるにつれて、そういうコミュニケーションを取ってきた相手の大多数に、自分の意思を伝えると「は?」みたいなリアクションをされたり、何か相手を否定する言葉を放つと「なんでそんな酷い事を言うんだ」と返される事が増えた。
これは、わたしがその相手とのコミュニケーションを地盤から偽って作ってきてしまった結果だよなあ、とひどく反省をして、そういうコミュニケーションの上に成り立ってしまった人間関係を、順番に諦める事にした。

自分の言いたい事を言って、相手に合わせなくても、それでも笑って自分と話をしてくれる人だけ残ればいいと思い、大分人に気を使うのをやめたし、相手の求める言葉を与えるのもやめている。
その結果、ここ半年くらいめちゃくちゃ人に「ひどい!なんでそんなに優しくないの!」と怒られる機会が増えたのだけれど、そうやって言ってくる人達がひとり、またひとりと離れて行く内に、自分の体がどんどんと楽になっていく事に気が付いた。

ああ、今まで自分って物凄く無理をしてきたんだなあ、とふたたび反省をした。
今までは波風を立てないように過ごして生きるのが外れ者の宿命だと思っていたけれど、大人になって、好きなように生きて暮らしていける今、波風を立てないように生きるより、自分が好き勝手生きても波風が立たない場所・相手と過ごしていけばよいんだと思えるようになった。

だからもう、そういうわたしの事を解ってくれない人の事はばんばんと切り捨てていったらいいし、「そんなひどい事するなら仲間に入れてあげない・もう友達じゃない」と言ってくる人達は、実はわたしの方から嫌われにいっているというのに気が付いていないし、結局皆《自分に都合のいいわたし》が好きだっただけなんだな~~~~~~と思ったら、超特大級の虚無に包まれたけれど、それでも普通に話せる人とか、一緒に楽しい時間を過ごせる人とか、こだわりを分かち合える大切な人がいるから、わたしの人生は遥かに豊かです。


こういう生き方をするようになってちょくちょく言われるのが「私はあなたのやり方に我慢してるのに、なんであなたは私の事に文句を言うの?」という奴なんだけど、わたしは別に誰かに我慢をしろと強いてないし、嫌な事があったら言ってくれたらいいのに、勝手に我慢をされて、その上でこちらが「それはちょっと」と相手を否定すると即ぶちぎれられるこの感じ。
わたしはコウペンちゃんだと思われていたのかもしれないな……というのと、結局でもそういうコミュニケーションしか取ってこれなかったのって自分だしな……と反省したりしてる。

そういうコミュニケーションの結果培われた人間関係って、中々リセット出来ないから、もう諦めるしかないんだよなあ。
というので、2021年は大分人間関係の断捨離が行われている気がするし、その結果どんどんと視界は広くなっている気がする。
けれど、わたしに対して「優しくなくなった」と言ってくる人達による悪態で心が結構いい勢いでズタボロなので、その辺りは自分をいたわりながら生きていきたいですね………。

「いなくなって欲しい」を叶えられなくてごめん

わたしの事を嫌ってる誰かとか、わたしがいると都合が悪い誰かの発する《わたしがいなかったらいいのに》という空気に物凄く敏感で、かつ、その人がそう思う事もよくよくわかる、という状況の時に、自分の身を守る事よりも、相手の気持ちに同調しすぎて「わたしがいなかったらよかったのに……」と思ってしまう事が多い。
これ、多分、世の中のイジメられちゃうタイプの人に多い気がする。こういう共感をしてしまうから、自分を責めてしまうんだろうな。

誰かと対話をする時に、相手の目線で物事を考えようと努力する。
その相手が自分を敵だと認識して悪だと考えている時に、相手の「わたしに消えて欲しい」という望みを叶えられない事をとても申し訳ないく思うし、相手からみたらわたしってとってもひどい人間なんだろうな……みたいなのを考えてしまうからよくない。
そこ、考えるのやめたらいいのに、なんだかどうしても考えてしまう。自他境界が甘いんだよなあ。

でも、可能であれば全ての人に幸せであって欲しいと思うから、自分のせいで誰かが不幸になっているとか、自分のせいで誰かの楽しみを奪っているとか、そういう状況になると心が死んでしまう。
それが今まで「自分の為」と「他者の為」だとしたら、自分の事を優先して他者が辛くなるのを見るのが嫌で、自分が引いて来てしまっていたけれど、そこに「誰か」が現れて、その「誰か」を優先した結果、他者がつまらなくなる状況が起きるとしたら、それはもう大多数の他者ではなく「誰か」を優先したい!という自分の気持ちの整理がつき、そこから流れて「そっか、仕方がない事なんだ」と思える様になった。成長である。

他意があって他者の望みを叶えなかったり踏みにじっている訳ではなく、自分が優先すべきものを優先した結果、ただそうなっちゃった結果だから受け入れてよね、としか言いようがないのであった。
そしてそれを受け入れてくれないどころか理解したり歩み寄りもしてくれない人に対して、何を信じて、何を期待しているのか甚だ疑問なのだが、わたしはどうしても《わかってくれるのではないか》と信じてしまうから、都度それが裏切られて辛くなってしまうのだと思う。

最近「思いやりがなくなった」と言われる事が多いけれど、単に≪あなたに対して都合のいい人間をやめただけ≫なんです。
気を使うのをやめた結果、それを非道と罵られるのであれば、わたしはやっぱりその相手を自分の世界に置いておく必要がないので、勇気を出して少しずつ自分の言いたい事とかやりたい事を選ぶようにしてよかったな、と思う。
それを認めてくれる人とだけ一緒にいたらいいし、それを呪ってくる人は、こちらから願下げなので、どうかわたしの物語に参加してこないでね。

ここからの目標


相手や周囲の為に、努力をして気を使って《理想の自分》を演じている人間がいるから円滑に回っている事って色々あると思うんだけど、結局そういう人間の努力を慮ろうともせず、与えられているのが当然だと思っている人達は、その人が《理想の自分》をやめた瞬間に悪態をつき「がっかりした」「ひどい」「そんな人だと思ってなかった」と、感謝はおろか《自分が与えられるはずだったものが与えられなくなった》と暴れ散らかすので、そもそもそういう人達の機嫌を取りながら生きてくる必要ってなかったんだよなあ……とマジで改めたりもする。

でも、機嫌が悪い人が近くにいると具合悪くなるし、自己肯定感が低いせいでそういう人ばっかり身の回りにいたから、そうやって誰かの機嫌を取って生きていくのが当たり前だと思ってしまっていた部分もあるので、そこはここから時間をかけて矯正していけたらいいなと思う。
まずは、自分にきつく当たっている人間からどんどん離れていけたらいいな。


わたしを≪自分の事を絶対に肯定してくれる人≫だと思ってそばにおいている人がまだまだいると思うから、「わたしはあなたの事を否定する事もありますよ」というアプローチをきちんとして、その上での関係性をこれからは築いていきたい。



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