今日の思想

日々の思想備忘録

2021年10月11日(月)の思想

目次


ワクチン2回目その後

2日目の高熱がひどく、9月28日に終日寝ていて一切スマホを見なかった結果「今こそSNSから離れるチャンスなのでは?」と思い立ち、ついでにSNS絶ちをしていた。
副反応自体は月を跨ぐ前に落ち着いていたので、そこからは沢山の情報をシャットアウトして己の感情と逃げずに向き合い続けた。

今の自分は何がそんなに嫌なのか、何に傷付いているのか、どうしたら納得するのかをとことん追求して、自分の存在意義について考えたり希死念慮と向き合っていたらメンタルをばーーーーっとやられてしまって、一時的に「もう自分なんて要らない、消えていなくなっていい」のとこまで行ってしまっていた。


TLにいなかった間はWEB上に発散するにはあまりにもよろしくない思考の整理をし続けていたのでSNSの更新を控えてたのと、ここ最近のSNS依存がエグすぎたので距離を取っていたのだが、ご心配お掛けした方がいたらすみません。
消えたくなってはいたけど、死にたかった訳ではないのでぼちぼち生きてます。

またもや結構しっかり鬱をこじらせてしまって、パニック障害がゆるやかに襲ってくるので通路横以外での長時間観劇はしばらく厳しそう。
観るはずだった舞台もまた一枚チケットを紙にしてしまっていて、新感線も今は無理かな~というところ。

演劇好きを語っておきながら最近すっかり劇場で観劇する回数が減ってしまっていて、観たいものは沢山あるのに気持ちがついていかない事が悔しいからなんとかしたいんだけど、慌てても仕方ないからまあゆるゆると………。

一応、友達と直接会ってご飯食べたりヘラヘラ笑えるくらいまではメンタル面もなんとか復活はしとります。
一人でいる時間が長いと消えたくなってしまうから、なるべく人と接するようにはしている。


ひとまず自分の中で色々こんがらがっていたものがやっとほどけはじめてきた気がするから、今日から日記を再開していきたい。
日々の感情を日記に書き留めるのは鬱にも効果的だから、日記は偉大である。

すっかり10月も3分の1が終わっちゃったな。

昨日のHNW

は、World。

今まで全通していた"橋本くんが出演しているHNW"に《行かなかった日》がいよいよ来てしまった。
行くも行かないも判断が出来なくて……というかしたくなくて、HNWの時間は何をするでもなくただただ家で虚を見つめていた。


自身の腹の内に抱えてるものは死ぬほどあるのだが、そんなものは世界からしたら1ミリも関係なくて《金を払って空席を作り、私はそこにいなかった》という事実があるだけ。
自分の感情をすべて殺して根性出したら行けただろうから、行けなかったんじゃなくて、行かなかった。

今回の事しかり、待ち受ける冬の事しかり、そもそものあれとかこれとかそれしかり、正直このまま通うのかどうするのかという悩みがここまで自分の心を殺して思考を停止させていた根本の理由なので、その日が過ぎてしまった結果、こうやってインターネットに言葉を発する所までこれたのかもしれない。

そして過ぎてしまったものは、もうどうしようもない。
1回欠席したら後はもう10回欠席しようが100回欠席しようが同じなのでもう悩まなくていいのだ。

そうか、もう悩まなくていいのか。
そっか。



以下、蛇足でしかないけれど《何も書かない》を選べなかった結果の感情たち。
一旦吐き出さないと整理出来ないから書いたけど、毎度の事ながら呪詛と棘を隠せていないし読んでいて気持ちがよい文章ではないので興味がある人だけどうぞ。











《何もしない》を選ぶこと

何度も繰り返し言葉にしているけれど、これ以上誰かや何かを否定したくはない。
けれど自分の気持ちも否定したくはない……とぐるぐるした末路がここ。

とにかく今の自分自身は、ピューロにまつわる何もかもに失望して疲れきっている。
その上で何も変えようとせずに見て見ぬふりで通い続けるのは容認している事と同じなのでその選択はしたくない。
とはいえこちら側の主張だけを一方的にインターネットに吐き散らかすと、対象の事もそれを許容出来ない自分の事も傷付けてしまって誰にも得がないのでその選択もしたくない。
だとすると今はもう《一度距離を取って何もしない》という選択肢しか私には残されていない。


そして勿論、自分自身のあり方にも反省や改善が必要だとも理解している。

私はとことん夢見がちの阿呆なので「自分が頑張ったらなんとか出来るかもしれない」と思い込み、頑張ろうとしてしまう事が常々ある。
現状に対しても、自分がもう少し根性入れて本気を出して皆と向き合えばこの状況をなんとか出来るのでは?と、何度も過りはした。

どうしてもロマンチストである事をやめられないので《指揮者と噛み合わなくなってしまい、奏者同士もてんでバラバラになってしまったオーケストラのコンサート》の客席にいて、自分が手拍子したら周りの客も手拍子をしはじめて、その結果オーケストラもそれに合わせてひとつになって…………みたいな展開を夢見てしまう。

けれど、それは客席にも舞台上にも舞台裏にも《オーケストラである事》を望んでいる人間が集まっている場だからこそ成立する話で、その前提から違っていたらもうどうにもならない。

ハナから見ている夢や目指す世界が違ったら足並みなんて揃わなくて当然であり、当事者が揃えようとしていないものを傍観者が揃えようとする事は、エゴの押し付けでありナンセンスだ。
そんな事は解りきっている。


が、てっきりあちらもこちらも隔たりなく同じ夢を見ている"仲間"の集合体だと何年も思い込んでいたので、手拍子をし続けていたらその熱量でいつかなんとかなると信じていた。
そこに夢を見続けて、その夢が支えになっていて、どうやったって諦められなかったから《そうではない》という現実を認めざるを得なくなってしまった今がこんなにもしんどくて堪らない。

"集団"だと思っていたそれが"個の集まり"だという事に、いつから気が付かないフリをしていたんだろう。
ここがディストピアだなんて事はとっくに解りきってたはずなのに、どこか認められず中途半端に夢を見させていたのは他でもない私自身なのかもしれない。

無我夢中で必死に叩き続けてきた己の両手が「もう無理だよ、ボロボロで痛くて苦しいよ」と必死に訴え、やっと直視をしたその掌は真っ赤に染まりきってからかなりの時間が経過している。
外野からいくら石を投げられてもなんとか鼓舞して保っていた心は、完全に折れ切っていた。


自分の限界なんてとうの昔に越えていたのに、情を捨てられなかった。
見捨てる事も諦める事も認める事も、すべて裏切りだと思っていた。
だからたとえ最後の一人になってしまったとしても、私だけは夢を見て信じる事をやめたくなかった。
それが自分なりに"この世界"を守る唯一の手段だった。
………はずなのに。

そもそもそんな事はハナから求められてなかったのだろう。
だから勝手に夢見て、勝手に信じて、勝手に守ろうとして、勝手に頑張って、勝手に限界を迎えた、ただそれだけ。

それに対して見返りを求めるなんてもっての他だし、自分以外の誰かを責めても何にもならない。
ゆえに宙ぶらりんになって行き場がなくなった自分の感情の行き着く先がここだ。


自分があまりにも無力で悔しくて堪らないけれど、これが現実なのだから受け入れないとならない。
それにこうなったのは決して自分のせいでも力不足でもなく、なるべくしてなっただけの事である。
やるべき事は己の非力さを恨む事ではなく、現実を受け入れた先で自分がどうするのか。

だからこそまずはこの現実を受け入れる。
そして自分が今唯一出来る《距離を取って何もしない》をして、その先の事はその先で考えようと思う。

これからどうやって生きていくか

本来はこういう時こそ《歩み寄って話し合う》事が出来たらよいのだが、それが出来ないどころかシャッターを完全に下ろされてしまっている。
というか向こうからしたら私は仲間ですらないので首を突っ込む権利すらない。ハナからお呼びでないのだ。

必要ならば当事者達がどうにかしようとして何とかなっているので、そうならない以上、私のこの想いは独りよがりの巨大感情でしかない。
個人の理想や願望を人様が経営する株式会社に宛がうべきではない。それは自分の庭でやるべきだ。


ディストピア内における"優秀者"は問題やトラブルにいち早く気がついてそれらを提起出来る人間ではなく、管理されている事にすら気がつかず平坦な毎日を幸せだと感じている人間の方だ。
管理下から逸脱して日々に疑問を抱いている私は、向こうからしたらノイズであり排除すべき悪になりうる。

だから現に今、精神的な面で完全に排除されてしまったのだろう。
ディストピアでの"おもいやり"や"なかよく"とは一体全体なんなのだろうか?とずっと考えているけれど、きっと私が納得する答えは一生出てこない。
私の求めるユートピアには、管理する・される人間という区分がそもそもないのだから、根本から価値観が違うのだ。


つまり、これ以上インターネットという広い世界にぐだぐだと発信しても仕方がないので、ピューロの事は次に自分が向き合おうと思える時までSNS上で触れるのは控える。
その場に参加しなければ当事者ではないので発言する権利はないし、やみくもに意見を言わない為にも離れる事を選んだ。

私が傷付いているのも失望しているのも事実だが、なにも対象を悪としてネガキャンをしたい訳ではない。
私が望むものも今会社が向かってる方向も双方正義であり"絶対悪"になってはならない。

今日も大切な人間が頑張っているその場所を、これ以上自分の言葉でマイナスのものにしたくないと思っていたはずなのに、己の理想と願望を押し付けて他者の努力の結果の"現在"を呪う自分自身に一番ガッカリしているのかもな。


それに「何もかもに失望して疲れきってる」と言いながら、こうやってインターネット上にこの感情を残す事で"誰かが解ってくれるんじゃないか"という希望を捨てきれていない自分が滑稽だという自覚も勿論ある。

本当に希望を無くしていたらもう何も言わないだろうから"絶"望ではないのがまたなんとも皮肉だ。
どんなに痛い目を見ても、やっぱり信じる事も夢見る事も完全には諦められないのだろう。


本来こういう事はインターネットに書かずに想定している対象に直接伝えるべきだという事もよくよく理解している。
ただそれが出来なくなってしまい、ここに残す事しか出来なくなってしまったから"一旦やめたい"のだ。
これらは全世界に向けて公開すべき感情ではないはずのに、自分の感情のやり場がなくなってこうなってしまう事を"当たり前"にはしたくない。

不特定多数に刺すために、第三者に誤解されるために自分の言葉を使いたくないし、一方的な文章じゃ自分の感情のほんの一部だって伝えきる事が出来やしない。

とにかく

自身の行動にも発言にも責任はしっかり持ちたいので、次に何かを発する時は自分の中で何かしらの道か答えが見えた時にする 。
そうでないと、たったひとつ持ち合わせている《自分の筋》さえも踏みにじってしまうから。

その整理をする上での過程を自分から解って欲しいとプッシュで伝える事はしないし、そもそも伝える手段もない。
けれど何も考えていない訳ではないので「解りたい・知りたい」と思ってくれる人に直接尋ねられたら誠意を持って向き合います。
インターネットで不特定多数に発信する事を"特定の誰かに宛てた手紙"の代替品にはしたくないので、しません。


自分が抱えている感情があまりにも大きすぎるし、自身の存在とピューロが紐付きすぎている。
ので、このアカウントでピューロ以外の楽しい話や日常をツイートする事さえも何かひとつ裏切りのように思えてしまって、アカウントごと消してしまおうかと何度も悩んだ。

けれど《大切だからこそ"今は"向き合えない》という感情は何に対しても私の中で定期的に沸き上がるものだ。
その上で私が生きている記録や思っている事の発信さえもやめてしまうと、向き合う事も諦めてしまう気がしたから消えずに続ける事にした。


決して無闇やたらに心配をかけたい訳ではないが、何も考えてないと思われたい訳でもない。
そんな事をぐるぐる考えていたらがんじがらめになってしまい、すべての身動きが取れなくなっていたのが昨日までの事。

この《解って欲しいから何かを発したい》《けれど変に誤解されたくないから何も発したくない》という二律背反が厄介なんだろうな。
「認めてくれなくていい、ただ解って欲しい。」とよく口にするけれど、本質的な理解というもののほうが、口先だけの承認よりもよっぽど難しいのかもしれない。
少なからず、一方的に文字にして解き放ったってその本質を理解してもらうのはどうやったって難しい。

でも難しいからって諦めたくないし、私はやっぱり自分が生きてる以上は自分が思ってる事を誰かに解ってもらえるように努力したい。
逆も然りで、誰かを理解しようとする努力をどんな時だって怠りたくはない。

ので、ぼちぼち今まで通りにやってこうと思う。
やってかないと出来なくなっていくから、無理ない範囲でゆるやかに。

それでも"信じる"事を諦めない

そもそもとして、今回の事だけに関わらず《楽しむための場所やコンテンツ》との何かしらのしがらみで楽しくなくなってしまってる現象があまりにも増えすぎている。
私個人の問題じゃなくて、世の中全般的に。

その事実に心がバッキバキに折れて、「私は一体どうしたらいいんだろう」と連日泣きじゃくりながらも、とにかく自分の気持ちを整理するために色んな漫画や本を読んで、たくさん演劇の映像やYouTuberの動画を観た。

視野狭窄に陥ってしまって、失意のどん底にいたって、世界にはこんなにも沢山の希望がある。
エンターテイメントも、演劇も、やはりどこまでも双方向の信頼とコミュニケーションだという事を、これからも忘れず大切にしていきたい。
なにかひとつでも欠けては完成しないからこそ、ライブエンターテイメントは客席という最後のピースをはめてお互いに信じあったその先の一期一会が尊くて愛しくて、だから今の私はこんなに苦しいのだ。


私はやっぱり信じるのが好きで、信じていたくて、その上で楽しく生きていきたい。
だから自分が信じられるものを信じて、信じてもらえる人のそばにいて、楽しく過ごす。
本当にただそれだけだなあと感じてる。

人の心も、よその会社も変えられないけど、自分の事は変えられるから。
自分の心を誰より解って、守ってあげられるのも自分自身だけだから。
きちんと自分を信じて、自分の事も大切な人も大好きなものも守ってあげながら生きていけるように、成長して変わりたい。

私の人生は、私のためにある。
他者の否定をしている暇があったら、自己を肯定出来る事のために動こう。
信じられないものがあるなら、信じられる人のために過ごそう。
人生は有限だ、ボーッとしてたら寿命がきちまう。

好きなものを好きだと胸はって全力で叫ぶためには、まずは自分の事を好きでいないと。
私が認めなきゃ、誰が私の事を認めてくれるってんだ。

沢山のものを信じて、楽しい事をやってこう。
まずはマイペースを取り戻すところから。


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