今日の思想

日々の思想備忘録

2021年10月14日(木)の思想

目次


感情との距離感

家の外に一歩でも出る時はイヤホンが手放せない。
イヤホンがないと外界と自分の世界に線引きが出来なくなり、具合が悪くなってしまう。

先日、近所で買い物をしていた時に目の前でお弁当を持っている親子連れの子供が転び、その子が持っていたお弁当はアスファルトの上にひっくり返ってしまった。
良心のある優しい親御さんだったので、笑って「大丈夫だよ」と言ってその場をテキパキと片付けていたのだが、案の定子供は泣き出していた。

それが視界の端に入った私も、もれなく貧血が起きそうな位に目の前が真っ暗になり、その時の血の気が引く感覚が今も鮮明に心の中にある。

そういう事が、家の外に一歩出ると四六時中起きる。
誰かの悲しみとか、怒りとか、そういうものを全部スポンジのように吸収して、そして自分の中で膨らませてしまい具合が悪くなる。
そりゃ人混みに行ったら倒れもしますわな。

自他境界が甘いとかのレベルではなく、感情との距離感がどう考えてもスタンダードではないな……という自覚はあるが、この力(?)がある事により役立ってる事も沢山ある。
ただまあ人の集合体の渦中で生きるにはちょっと生きづらいよね~。

それでも"人間"ってものが好きだから、知りたくて愛したくて歩み寄って、今日も傷ついて………という事の繰り返しがやめられない。
いっそ諦められたら、無関心になれたら楽なのに。

「怪獣のバラード」がおれのイメソンなのか…………???
海が見たい…………人を愛したい……………………。

謎の使命感を抱いて生きる

これも私の課題だな…………。
「私がやらないと!」と思い込みたい部分があるというか、それで自分を鼓舞させてなんとかしてる部分が強くて、それ自体は構わないんだけど、思ったより自分じゃなくてよかった時に「なんだ自分じゃなくていいんじゃん」となってしまうのをやめたい。
完璧にはやめられはしないだろうから、もうちょっとマシにしたい、くらいかなあ。

自己肯定感が低いのか、己の力を過信してるのかどっちなのかようわからん。
もうちょっと掘り下げようと思ったんだけど頭のスイッチが切り替わっちゃったからまた今度!

突如蘇る腐女子の自我

腐女子の定義って何?って感じの世の中になってきちゃったから、ひとまず《原作にハッキリとした描写がないもののわずかな可能性を見つけ出してそこから行間を膨らませる者》として語らせていただいていいですか???(お好きにどうぞ)

元々漫画を読んだり小説を読んだりするのが好きで、その上で「この2人って…………」と妄想するのが好きだったとこからはじまり、目に見えて圧倒的に"気付き"が多いのはやっぱり生身の人間だから映像とか舞台とかを観て「この2人って…………」ってなるのにのめり込んでいったんだよなあ、と言うのを突然思い出した。

その「この2人って…………」は同性でも異性でも構わなくて(この時点で"腐女子"の定義がブレます、さようなら。)、必ずしも恋人でなくていいというか、特別な友情とか、屈強な信頼関係とか、その2人だけの言葉にならない特別な関係性を考えるのが好きである。

なんだろう、恋人になったり始終一緒にいる事だけが必ずしも幸せじゃなくて、その2人がそれぞれ一番自分らしくいられるちょうどよい距離感を見いだしてifを考えるのが好きというか。
そしてそのifも自分の中でなにかひとつの正解がある訳じゃなくて、ちょっとずつ違う細かなパラレルワールドがたくさんあって、その一つ一つをゆっくり噛み砕いて考えるのが好き。


だからいわゆる「かわいい推しちゃん総受け🥺」とか「AB固定リバ地雷🔪🔪🔪」みたいなタイプではなく、"その2人"の解釈が合致してたらなんでもいいけど、逆に解釈が合わなかったら同CPも相容れん!みたいな。

だから当たり前のように同性同士がくっつきまくってる世界観とかなんちゃらバースがあんまり得意じゃない。
あくまでもベースはリアルであって欲しくて、99%のリアルの中に1%のファンタジーを足すくらいの二次創作が好きだ。
「ある……………………」ってなるやつ。


あと、色々考えてて気付いたけど、付き合ってるとか体の関係があるとかじゃなくて《一緒に住んでる》にめちゃくちゃ弱い気がする。
学生ものにおける《大学生・社会人になってルームシェアしてるパラレル》とか大好きだもんな…………。

なんならそれぞれ恋人は別でいるけど、衣食住を共にしてる時間と空間が切り取られてたらそこに物凄いエモを感じるというか。
"家族"に憧れがあるというよりかは、さも二人で一人であるような関係が好きなのだと思う。

こういう風に何にときめきを感じるかって、結局己の性癖(思考の癖という方の意味)との向き合いだから、それもあって脳内妄想してる時の多幸感が凄いのかもなあ。
自分の考える"幸せ"の形を追求出来る事って、そりゃ世界が明るくなるもんな、なるほど。


そういう事を突き詰めた結果、"自分と誰か"の関係性を考えた時に「こういう関係性がいい」みたいな、己の二次創作をしてそれに準じて身動きを取ってしまうから色々しんどいのかもなあ!?という謎の気付きをしたりしていた。
私が原作にいたらめちゃくちゃCP戦争起きるタイプのキャラクターだよなとふと思ったりした(?)。

「この2人は付き合ってるか否か」を考えてるだけで幸せになれるんだったという事を思い出したら、なんだか人生いける気がしてきた。
やっぱり二次創作をした方が頭の中身が楽になると思うんだけど、昨今どちらかというと生身の人間を用いた一次創作の方に俄然興味があるから、やはり「劇団か…………」となり続けている。
自分が思う最高の関係性の空気感を肺いっぱいに吸い込むには、やはりリアル環境でないとならないからなあ。


自分が二次創作をする時、神の視点から書くんじゃなくて誰かしらの登場人物の視点から書く事が多い(今もうほとんどしてないから"していた"の方が正しい気がするけど)。
自分がその人物になりきって、そのシーンを想像して、その時の感情や行動を繊細に思い描いてを文字にぶつけるのって、ある意味役者的思考なのかもなあ、と突然ハッとしたりもした。
(本当は文字じゃなくて映像で表現したいんだけど、映像で二次創作するのって間違いなく"無理"なので…………。)

だから自分が生きてる上でなんとなく相手に合わせた"自分"を演じてしまう事は、決して悪い事ではなくて、そういう趣味というか処世術というか、一番生理にあった呼吸の仕方なのかもしれない。
私は私の二次創作をしながら、《私と誰か》の物語を日々紡いでるのかもな。
あくまでも"二次創作"なのがジワジワ来るけど。
本能的に動いてるんじゃなくて俯瞰で見て計算した時点で二次創作なんじゃなかろうか、知らんけど。


こうやって例えていくと、難しく考えすぎていたものがただめちゃくちゃに複雑にねじれたシンプルな何かである事が解ってくるから、オタクをやっててよかったとすこぶる思っている。
海が見たい、人を愛したい、行間を読みたい。


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