今日の思想

日々の思想備忘録

2021年10月26日(火)の思想

目次


好きなものを突き詰めて神様になること

以前、機会があって羽生結弦さんのアイスショーを観た事がある。
全身で煌めきを浴びたその時に、「人って好きなものを突き詰めると神様になれるんだなあ」と思った。
昨日、国立新美術館庵野秀明展を観た時もその感覚に襲われた。

この2人の頑張りだとか感情の方向性はまるでまったく違うけれど、結局人間ってものは他者との比較や競争ではなく、どこまで己自身と向き合って突き詰められるかがキーなんだよなあと痛感させられる。

"自分"を突き詰めて、"自分の好き"をどこまでも突き詰めて、やがて天衣無縫にたどり着いた時に、人間は神様や神話や星座になれるんじゃないのかな、と。
私もそうでありたいなあと思い、ここのところブレまくっていた自分の芯が帰ってきたような気がした。

出来る限り争わずに、自分自身の世界を突き詰めて、どこまでも天衣無縫でいられる事が自分にとっての《幸せ》なんじゃないのかな。
その天衣無縫に辿り着くまでには、沢山の痛みや苦しみや絶望や呪いがあるし、辿り着いた所でそこに無限の安心はない。
けれど、それでもやっぱり憧れる、両目を潰すような、胸を焦がすようなその煌めきを、生きてる間に自分自身も手に入れられるように努力して生きる事は、忘れたくないなと強く思った。

"美しさ"をどこまでも求める

好きなんだよね、星座をなぞるのが。

庵野くん展とサンリオ展をハシゴして、自分の中の点と点が線になったというか。
《自分の芯がブレずに世界を構築すること》《誰かと争わずに自身の世界を表現すること》《どこまでもそれを突き詰めて他者の世界にも寛容であること》みたいなものが自分のポリシーなんだろうなあ。

庵野くん展にはそれぞれ章が設けられ、タイトルがつけられていた。

第1章「原点、或いは呪縛」
第2章「夢中、或いは我儘」
第3章「挑戦、或いは逃避」
第4章「憧憬、そして再生」

最後に、出口付近に壁に大きく書かれている文字がある。
「感謝、そして報恩」

己の人生をこんな風に章にまとめられて、こうして国立の美術館にその半生が並べられている姿は、あまりにも美しい。
そして、庵野くんはその言葉に嘘偽りなく、自分を育ててくれた文化を守るべくNPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立して、自身を育てたカルチャーに恩返しをし続けている。
「まっすぐだな」と思ったし、「美しいな」と思った。


その後に足を運んだサンリオ展にはこういう言葉が記されていた。


"美しいものには永遠性があり、美しいものを求める心には無限の夢があるのです。"


もう、これ以上の説明は無粋でしかない。

私はただ美しくありたいのだ。
どこまでも愚直に美しさを求めて、生きて、そして死にたい。
その美しさは、決して大衆に認められる必要なんてないけれど、ほんのたったわずか、自分が美しいと感じている人間に、同じように自分の事を美しいと思ってもらえたら、それが《幸せ》なんだろう。

だから今日も己の美学に反しないように、笑って、楽しんで、天衣無縫に向かって生きる。
自分が不愉快になるものにはなるべく関わらない。文句の言葉で頭を埋めない、他者への嫌悪で心を縛らない。

好き
大切
楽しい
美しい
そしてそれらを信じる気持ち

そういうもので頭も心も満たせたら、きっと今はまだ見えない自分が進みたい道が見つかるのではないかと信じている。

ほんの、たった1ヶ月だ。
けれど1ヶ月なるべく心と体を空っぽに、ニュートラルにしようとしてここまでのものが見えたならば、それをベースにもっとフラットに近付けていけば、自分の理想の生活を送る未来も程遠くないのかもしれない。


私はやはり《美しい物語》を紡いでいたいのだ。
私自身の物語も、"私と誰か"の物語も、可能であればすべて。
その為の苦労や努力は厭わないつもりだから、神話は無理でも、いつか誰かにとって一生大切に胸にしまっておいてもらえる物語になれたら、きっとこの人生は報われるのだろう。

世界中すべての人でなくて構わない。
自分が煌めきを感じる相手には、せめて美しいと思われていたいのだ。


自分が美しさを感じるものは刹那的だが、感じた美しさは永遠に閉じ込めておけるから、私は刹那を永遠にする作業を延々と繰り返しながら生きているのかもしれない。

頭痛外来へ行く

ここ半年、偏頭痛が大分キツかったので頭痛外来に行ってきた。
こと病院に関してはフットワークが妙に軽い。医療を信頼してるからな………。

医師に診察されてる時間が好きというか、自分の辛さを《解ってもらう》ために詳しく言語化する時間が好きだ。
よくよく考えたら、昔から入院だ手術だなんだで「今どこがどう痛いのか」とか「どういう気持ちなのか」みたいな事を毎日問診されて生きていたから、自分のこの表現力のベースはそこにあるかもな、という突然の気付きを得る。

自分の症状を詳しく伝えられない事は死活問題にあたるからこそ、生きる術として言語による表現力が培われたとするのであれば、あの辛い日々も報われたもんだなと。

さて本題の診察結果だが、特に問題はなかった。よかった。
CTの画像を見ながら、先生がいちいち言葉をタメて「ここは………目の位置ですね」「こっちは………耳です」とかいうもんだから、「え!?そこなんかある!?」とソワソワして面白かった。
そこにハラハラさせる仕組みはいらないだろう。


頭もだし、心もだし、内臓もだけど、目に見えないものの方が怖いんだよな~と思うので、気になる事があったらとっとと専門家に診てもらって、とっとと安心するに限る。
その為に健康保険料を納めているのだもの………かりを。

読みたい本、溜まる

SNSで見かけて興味を持って購入した本を積んでしまっている。

精神医学とか、行動心理学とか、哲学とか、生物の中で人間だからこそ悩んだり暴かれたりしているものを、具体例を挙げて解説してくれている書籍をどんどんと読む事で、まだまだ知った気になっていた自分の事が解っていくのが面白い。

それを知って偉ぶりたい訳ではなく、ただ学んで活用する事で自分や周りの気持ちや暮らしが楽になるならば万々歳である。
出口のない迷いの森をさ迷ってると思い込んでいても、実はそんな事は等の昔に先人が暴いているロジックがあるかもしれない。

この世の大概の事は、大体先人がすでに暴こうとしている。
《これから》の事とか、一歩先の事をもっと考えていくならば、《これまで》の事は他者の知恵に頼った方が早い。
それを知って今の悩みを飛び越えて、次のステージに行けるのであれば、漠然とした不安を抱えているよりも、学びの時間に変えた方がよっぽど有意義だ。

日々娯楽への誘惑が多くてつい読書を後回しにしてしまうから、1日30分は読書の時間を取るようにしようかな。


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